戌亥とこになりたいだけの人生だった

この記事は、タイムシフトの視聴期限が切れて頭の中が整い始めたため、やっとのことで書いたライブの感想です。

 

 

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最後まで泣かずに観ることができた人が何人いるだろうか。

そもそも私は昨年の12月に開催された“Virtual to LIVE in 両国国技館”において、彼女の披露した『小さきもの』を聴いて号泣した過去がある。

一曲で人の感情を大きく揺さぶるケルベロスが、zeppで2時間歌ったのだ。泣くなというのは拷問に近い。言われとらんけど。

 

とこちゃん本人は今回のソロライブの題“who i am”について、単に語感が良かったからと発言していたと思う*1が、実際に終わってみたらこんなにも的確な題はなかったと思えてくる。

OPで映し出されたのは風景・雑踏・電車等*2。一人称視点と三人称視点が混在し、自己と他者との境界が曖昧になる。これは完全に私の感覚でしかないが、ある程度ルーティン化された日常を過ごしていると自分が社会に溶けて消えていくような感覚に陥ることがある。あの映像からはそんなイメージと同じものが感じられた。そして現れる“who i am”のタイトルロゴ。なんと力強い宣言だろう。私はこれから圧倒的な“個”を目の当たりにするのだという予感に、モニター越しながら手に汗を握ってしまった。

実際、圧倒的な歌唱力はもとより、縁深いゲストとのコラボ、独特なトークの間やあんスタへの愛*3、そして全世界が待望していたオリジナル曲の披露等、これこそが戌亥とこだ!と思わずにはいられないライブだった。何より、彼女を構成するそれら欠けてはならない要素をひとつひとつ再確認するように歌っていく姿は本当に感動的で、ただただ眩しかった。

私自身、見えないレベルの小粒ではあれど、眩しくて大好きな彼女を構成する一部になれていたら幸せだなと思ってしまうほどに、本当に素敵なライブだった。

 

とこちゃんが現在のとこちゃんに至るまでには、私の知らない努力があり、悩みもあっただろう。そもそも私の知り得る範囲はどうやっても彼女のほんの一部でしかない、ということは常々しっかりと意識しなければならない*4。しかし、それを踏まえてもなお、私はとこちゃんになりたいと思ってしまうのである。画面の中でキラキラ光るドレスに身を包み、苦労の末報われるシンデレラになりたいと願う幼児と同じ思考回路で、私は戌亥とこになりたいと願ってしまうのだ。

無論、私はそこら凡百の幼児よりも賢いため、実際に私が戌亥とこになり得ないことを本心では理解している。シンデレラの衣装に身を包み、己がシンデレラになったと思い込む幼児を想像して嘲り、その嘲りがそのまま自身にも刺さっていることに気付かぬふりをしてやり過ごすという地獄を生きている*5

しかし、理解しているのであればやることは一つだろう。その憧れに恥じることのないよう、私の人生をよりよいものにするのである。とこちゃんに貰った感動を私のしょうもない生活の慰みで終わらせてなるものか。とこちゃんのおかげで私の人生はこんなにも豊かになったのだと胸を張って言えるようになるのだ。

そのきっかけをね、とこちゃんがその方に与えたというのは、めちゃくちゃすごいことだから。誇ってください。

こう言ったでろーん(樋口楓)の言葉*6を受けとめ、とこちゃんが誇れるような生き方をせねばなるまい。これは義務感ではなく、そうしたいという願いだ。そして、ここに書くことで、そうしていくという宣言にも代えさせていただく。

 

本当に素敵なライブだった。ありがとう。

 

*1:どこで言っていたか思い出せないから妄想かもしれない。でも言ってそう。

*2:随所で言われているように、実写のOP映像はおそらくでろーん(樋口楓)の1stソロライブ“KANA-DERO”をリスペクトしたものだと思う。

*3:私はあんスタに触れたことはないが、あんなにも激しくダンスをし、楽しそうに歌うとこちゃんとすいちゃん(星街すいせい)を観れたのは、間違いなくあんスタのおかげだ。本当にありがとうあんスタ。

*4:意識していても勝手に脳内で補完して勝手に涙するという救いがたいオタクであることを白状しておく。

*5:その点プリキュアはすごくて、みんなプリキュアになれる。

*6:うろ覚えだけど印象に残っている言葉。Blu-rayが発売したら聞き直したい。